沼川石水門記念碑

湊口からの波浪・高潮との戦いが吉原湊時代の象徴であった。第一次石水門は、明治3年2月に着工したが、同8年5月の暴風によって壊滅し完成には至らなかった。その後、海水の逆流による被害が益々顕著になり、明治17年4月、第2次石水門に着工、明治19年5月に竣工した。その後、数次の改修を行なった。「六ツ眼鏡」の名で親しまれたが、現在の田子の浦港の築造により役目を終えた。
湊口からの波浪・高潮との戦いが吉原湊時代の象徴であった。第一次石水門は、明治3年2月に着工したが、同8年5月の暴風によって壊滅し完成には至らなかった。その後、海水の逆流による被害が益々顕著になり、明治17年4月、第2次石水門に着工、明治19年5月に竣工した。その後、数次の改修を行なった。「六ツ眼鏡」の名で親しまれたが、現在の田子の浦港の築造により役目を終えた。