ふじのくに田子の浦みなと公園

富士塚

 
当港の西側海浜の一部を、港から発生した浚渫土砂により埋め立て造成し、港湾緑地を整備している(全体面積約7.6ha)。整備計画の策定に当たっては、地元との協働により設計を進め、平成18年に緑地部分の整備に着手、平成25年6月に一部整備を残し全面供用開始した。展望の丘からは、航路を航行する大型貨物船を間近に見ることができる。
平成23年2月、「富士山の日」を記念した富士見の祭典「田子の浦港築港50周年記念式典」において、一般公募により愛称「ふじのくに田子の浦みなと公園」と命名した。

富士塚

ドラゴンタワー

デザインは地域住民の発案と静岡文化芸術大学生の協働によるもので、愛称は一般公募により命名された。タワーの高さは37.76m(富士山の標高の1/100)で、二重らせん階段は、富士登山をイメージしている。
平成30年2月に完成し、富士山~駿河湾の360°の美しいパノラマ景色を楽しめる。

富士塚

山部赤人歌碑

「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」と詠んだ奈良時代の歌人山部赤人の歌碑。昭和60年3月、富士市教育委員会により富士埠頭に建立されたものを平成24年3月、ふじのくに田子の浦みなと公園内に移設した。

富士塚

齋藤寿夫像・船山啓次郎像

田子の浦港は、田子浦村出身の船山啓治郎氏と齋藤寿夫氏、そして多くの郷土に縁ある人々の熱意に支えられ完成した。富士市と合併する前まで村長職にあった船山啓治郎氏は、岳南地域の発展のために田子の浦港の築港を構想し、同氏の熱意により「田子の浦港修築期成同盟会結成準備協議会」が組織され、その活動により港湾管理者が設立されるなど着工への足掛りが整った。同じく田子浦村出身である齋藤氏は、静岡県の総務部長などの要職を務め、部長時代には船山氏の計画に理解を示し、関係者の活動を支えた。その後、四期に亘り知事を務め、田子の浦港の建設や優良企業の誘致に尽力した。
緑地内には、二人の功績を讃える胸像のほか、昭憲皇太后行啓記念碑など数々の碑が設置されている。

富士塚

ディアナ号日露友好150周年記念

ディアナ号は江戸時代末期、ロシアのプチャーチン提督が乗り込み、日本に開国と通商を求めて来航した木造帆船の軍艦。安政元年に下田港に入港、安政地震による津波で大被害を受け、修理のため戸田へ回航する途中、暴風雨で遭難し、三四軒屋沖まで流され、沈没した。地元住民の救助活動により約500人の乗組員が救助された。歴史学習施設として設置したディアナ号は、室内に歴史等展示パネルを設置。
記念碑は、日本とロシアの交流が始まった1855年から150周年を記念して、ディアナ号ゆかりの地である富士市(田子の浦港)、下田市、沼津市戸田、ロシア・サンクトペテルブルクに建てられた。

富士塚

ディアナ号の猫

江戸時代末期に、三四軒屋沖まで流され沈没したディアナ号の錨は永らく、"唐人のねっこ”と語りつがれて来た。その錨は昭和51年8月、水深24mの海底から引き揚げられ、現在は三四軒屋公園にある。